スティーブ ジョブスの最後の言葉を自分なりに訳してみた その2
愛とお金
前回の続きなので、読んでない方はこちらからどうぞ。
GW明けの頭にはいきなりヘビーなテーマから再開することになってしまったけど、はりきって訳してみよう。
wealth(=豊かさ、財産)によってもたらされるillusions(=幻想、錯覚)
VS
feel the love(=愛)
という図式、はるか昔から語られ続けるテーマの1つ。
財産のある幸福をここまで完全否定する必要があるのか疑問だけど、ジョブスほどお金持ちになると、あって当たり前なのが「お金」で、得難いものが「愛」ってことになるのかな・・・
個人的には、愛と大金は両方とも、たやすく得られないものだと思うのだけど、大金を持つと、持ってないより「愛」が難しくなるって事があるんだろうか・・・わからん・・・
ラブポータビリティ
これも難しい問題。
まず、「あの世」がある前提のお話しになっている。
そして、「お金」は持っていけなくてthe memories precipitated by love(=愛で固められた記憶→→→「愛のメモリー(照)」)は持っていけることになっている。
下に続く
TRUE RICHES
上からつなげると、持っていけないお金などの財産より、持っていける愛のメモリーこそが「本当の豊かさ」であると読み取れてしまう。
愛を感じる感覚を、あの世へのポータビリティ(portability=持ち運びできること)で語るという事にナンセンスさを感じるのはオレだけではないはずだ。
これは難しい問題だ。
死の淵だからこそ、「あの世」と「持っていけるもの」を確信的に感じているということなのだろうか。
「あの世」に持っていけるかどうかで価値を論ずる事がどうしてもしっくりこないのは、まだ死を近くに感じていないからなのだろうか。
「あの世」があるという確信が自分にはないからだろうか。
いや、きっと、あの世に持っていけるかどうかすら超越したものが「愛」であって欲しいと願うからだろう。
そして、次に続く
「いつも一緒にいて支えてくれて生きる強さと明るさをくれるもの」
これって、「愛」もそうだけど、現代社会での「大金」が象徴するものでもある。だから、お金に置き換えてもしっくりくる。
だからこそみんな宝くじを買ったり、リスクを負ってでも勝負したりするんだろう。
ジョブスもそうしてきたけど、あの世へ持っていける財産は貯めてこなかった残念、という事か。いやいやいや。いやはやこれ。信ぴょう性の低さはすでに言ってある通りだけど、どんどん胡散臭くなってきた。
この世ではお金があったから贅沢してきたけど、あの世では愛がないと贅沢できないから、やっぱり愛だろ、愛。
なんて、そんなのアリかね。この人(きっとジョブスではないだろう)が語る愛の何たるかってのが、しっくりこなくなってきた。
いい文章だと思ってたけど、雲行きが怪しくなってしまった。
要するに、「あの世で使えるお金」のように愛を語られることに不快感に近いものを感じてしまったのである。
受け取り方にも偏りがあるだろうけどね。初めて読んだときはこんなふうには感じなかったのに、不思議。
LOVE & LIFE
前述の文で不快感とか言いいつつも、ここの突き抜けた物言いは好き。
愛と人生は何でもありだから素晴らしい。
人生を決める者
この路線の語り口、大好き。いいね。
意訳が強めだけど、伝わるはず。
Reach the height you want to reach.=望む高さまで行きな
It is all in your heart and in your hands.=全部君の心と手の中にある→→→決めるのは自分という流れ。
ここでいう「それ」は、望む高さであり、行くか行かないかでもある。
自分次第という事だけど、いい表現だなぁと思った。
世の中は、自分では決められないと感じる事も多いけど、決めれる事もたくさんある。
決められないことを嘆くより、自分の決めれる事を見つけて、それと向き合って生きる方が、自分の人生に集中できるし、楽しめるだろう。
行きたいとこまで行くべし。いい響きだ。
感じよく区切れたし今回はここまで。
次回で完結。
思ったより長くなってしまったけど、なかなか楽しい。
チャオ!
スティーブ ジョブスの最後の言葉を自分なりに訳してみた その1
Steve Jobs -Last words-
去年の年末くらいから出回っているジョブスの最後の言葉ってのがホントかウソか知らないけれど、いずれにせよ結構良くできているなぁと思う。
どうやらフェイスブックから出回ったようで、信ぴょう性は低いらしいのであしからず。
もしジョブスが最後にこんな事を言ってたら面白いなぁと感心したので、自分なりに日本語に訳してみることにした。ついでに英語の勉強にもなるし一石二鳥だ。
というわけで、ちょっとやってみよう。
ビジネス界の頂点を極めた男
成功の頂点に到達した→頂点を極めた
と訳した。こんなセリフ言ってみてー。
「豊かであること」とは
JOY=喜び、成功、満足、うまくいくこと
喜びの少ない人生だった→人生があまり上手くいかなかった
仕事の成功に対してなので、こういう訳にしてみた
そんなことジョブスが言うんだろうか・・・
人生上手く行きっぱなしの人もいないだろうけど。
なんて思いつつ訳を続けてみる。
wealth is only a fact of life that I am accustomed to.
これが難しかった。
wealthは「豊かさ、富、財産、裕福であること」この文章のテーマになってる単語。ここでは「豊かであること」と訳した
accustomed to the fact that=当然のことだと思う
なので
当然の人生→当たり前と思う日常→いつも通りの生活
と訳す事にした。ムズー。
「いつもの生活」とか「普段通りの生活」とか、ありふれた(と自分が思っている)日々とかって訳もいいかも。
病気で死を目前にして、普段の生活ができなくなってからその価値に気付いたという解釈でいいと思う。
その意味とは少しずれるけれど、ビジネス界の頂点に君臨した男の「いつも通りの生活」ってのはどんなものなのか想像すると確かに「豊かであること」そのものなんだろうなぁと思った。ずっとその状態で暮らしたいと思うんだろうなぁ。知らんけど。
人生を思い返して
やっぱりキーワードは「wealth」
ここでは「お金」っぽい意味合いが強く使われている。
recognition=認められること
死を目前に色褪せる認識ってのは、社会的な地位や権力的なものだろう、と思ってこう訳した。要は「金も権力も命と釣り合うものではないよ」と言いたいんだろう。うーん。余るほどお金を持っていたであろう人物のセリフを想定しているので非常に意味深だ。命のためにお金が必要な状況の人には響かないだろうけど。やはりどの立場の人の発言なのか、というのは重要だなぁ。この文章もジョブスの最後の言葉と思うからより価値を感じるわけだしね。
それにしても「己の誇りにかけて」って、何かいい言葉だと思った。
神の息吹と死の吐息
ブー・・・ンっていう機械音は、なんとなく自販機が発する音の小さい感じのやつをイメージしてみた。
breath of God and of deathは宗教的な表現なのかな。
神様と死が同時に近付いてくるというのはイメージしやすかった。
近付く事を、息づかい(のわかる距離)で表現してるのはとてもキレイだと思った。
今だからこそ分かること
sufficient=十分な、足りる
wealthはここでは「お金」のがイメージしやすかったのでそう訳した。
しかし、残りの人生を生きるに足りるお金って、どれぐらいか分かる人っているのかな。
分からないからこそ稼ぎまくって貯めまくろうとするんじゃないのかと思った。
死期を知ったからこそ、Now I knowなんだろうなと思う。
お金とは関係のない、より大切な何か
これを見つけることは、誰にとっても人生で最も大切なテーマの1つだと思う。
ジョブスは見つけていたと思いたい。
大切なもの
何回か読んでいても、毎回けっこうグッと来てしまう。
胸に響く言葉だからこそ、真偽不明でも広がったんだろうな、と思う。
そう、私のようにね
Just like meはいらなかったと思う。せっかくここまでいい感じで来たのに、いきなり「そう、iPhoneならね」的なのをブチこまれてウソっぽさが炸裂して笑いにつながってしまう。いや、そう訳したのはオレか。
関係者もやはりこの文に対して”彼が自分のことをゆがんでるだって?”と、ツッコミを入れているようだ。
とりあえず今回はここまで。面白いけどちょっと疲れたし、キリもいいので休憩。
全部訳し終わったらひとまとめにしようと思っているので、小出しにすんなよメンドクセーって人はしばらく時間をあけてから覗きに来てね。
はてなファイトクラブに入会した
辟易していた
既においしいポジションにいる層と、立ち向かうアンチ、支えるファンの織りなすほぼ予定調和じみた展開の多さに辟易していた。
ときどき見つける独自の世界観を持っている後発組のブログに出会うと嬉しかったが、その中の誰かがメインストリームを揺るがすほどの力を手に入れる瞬間には未だ出会えていない。
そんなローテンションなところに悲しいニュースが重なってしまい、気分が乗らなくなったので、しばらくブログを離れていた。
離れてみると、視点が変わる。こころの視野が開けてくる。渦中にいなければわからない熱を知る事も大事だが、今のオレには離れる選択が正解だったようだ。
そんなふうに更新を止めてからしばらく経って今日、購読中のブログで「はてなファイトクラブ」なるものを見つけた。なんだこれ?いつものはてなの感じと違う。人気エントリーはいつも通りだ。少しこころがざわつく。何かが始まる予感がする。状況を把握したくなり、関連の記事を読む。まだ参加者は4人。うち2人はよく読ませてもらっているブログの2人だった。ドクン。この2人が関わっているなら、現状に風穴を開けられるかもしれない。微力ながらオレも力になりたい。そう思った。よし。5人目のファイトクラバーになろう。個人的に争いは好まない性質なのだが、リスクを取らねばすべて失う場合だってある。立ち上がらなければならない時がある。何より彼らと何かをやってみたいと思った。これまでに読ませてもらった彼らの記事には、そう思わせる"何か"があった。
ファイトクラブルール
はてなファイトクラブのルール
君は『はてなファイトクラブ』を知っているか? - UNDERGROUND FLAVOR
発起人
昨日「はてなファイトクラブ」を立ち上げた。
感動してる。やはり戦う者は魂を揺さぶる。 - 自由ネコ
さぁ、戦いを始めよう
ファイトクラブルールその8に
初めてはてなファイトクラブに来たものは、必ず戦わなければならない。
というものがある。
ルールに則って、戦おう。
オレの敵は「現在の状況」だ。
今のはてなを構成する勢力図を塗り替えるんだ。あっちみてもこっちみても似たようなブログまみれじゃ面白くもなんともねぇ。自分自身さえ塗り替えて、取り巻く環境に影響を投げかけるんだ。ファイトクラバーがメインストリームを奪うまでこの戦いはやめられない。意外と狭く感じるはてなの世界を押し広げるにはこの戦いは必要だ。
ブログを書くことで得られるものの向こう側を覗きに行きたい。共に進む仲間がほしい。
読んで何かを感じたら、ファイトクラブでともに戦おう!
ふんふふ~ん♫
ハッピー
鼻歌交じりで朝からごきげん
理由は特に無い
気分なんてそんなもんだろう
できればごきげんな時間を多くしたいと思う
ゴキゲンなヤツでいたいと願う
そんな事を考えていたらちょうどラジオでファレルウィリアムズのハッピーがかかった
Pharrell Williams - Happy (Official Music Video)
ナイスなタイミングでナイスな曲がかかったことに感謝
ちなみにこんな感じの曲である(超意訳&超省略)
だってオレ、本気と書いてマジでハッピーだから
嫌なニュースだろうが何だろうがオレには全く効かないぜ!
自分の幸せに出会ったらクラップクラップ!
ハッピーだから怖いもんなんてないぜ!というファレルがオレのテンションをさらにハッピーにしてくれた
ちょっとした気分と偶然の出会いがくれた気持ちのいい時間
受け取ろうとしていれば、幸せはいつだってそこらじゅうにあるんじゃね?
なんて浮かれた事も言いたくなる
外は雨だけど気分は晴天なり
ハッピー!
お題スロット遊び
無人島に持っていきたいもの
お題スロットを回してみた
さて、想像の世界に飛び込んでみますかね
まず、ルールが肝心
”持っていけるもの”が何でもオッケーの場合
「どこでもドア」
と答えますね。えぇ。
現実に存在するものに限定する場合
”もの”の中に生き物が含まれる場合は
「気があって、協力して生きていける異性」
かなぁ
生き物NGの場合
ほとんどの場合はこのルールを想定してるでしょう
前2個の回答はちょっと「あまのじゃく」的回答かもね
でも、「夢」とか「希望」とか真顔で答える人よりはまともに考えてるつもり
まぁ、もしもの世界なんで、気楽に行きましょ
無人島の気候がメチャクチャ寒くてスタートが裸とかルールを補足されたら
「暖かい服」
とか
無人だけど、高速道路のサービスエリアなみに自動販売機が並んでいるとかなら
「お金」
というところまで考えて
「やだ、お題スロットおもしろいかも」なんて思ってしまった・・・悔しい
そういう補足ルール無しで辿り着いた答えは
「十徳ナイフ」か「ライター」である
どちらに決めたところでベタ過ぎて何の面白みもない回答なのに迷っている・・・悔しい
これって私だけ?
悔しいのでどちらかには決めずに次のスロットに手を出す
朝からお題スロットとまともに向き合ってこんなんしてるの私だけ?
なんて考えたら孤独がブワッと覆いかぶさってきた
なんて問いかけをしてくるんだこのスロットは!コラ!
なんて怒りが湧くほど寂しい・・・うぅ・・・
てな具合に道化を演じてるようで、ホントに寂しさに襲われてしまったので、そろそろちゃんと現実と向き合って仕事しようと思います
トホホ・・・
人は、つながりたがっている
悟りチック
あてもなくインターネットをさまよっている
アタマがパンクしそうなほど情報を詰め込んでしまった
自分なりに飲み込むために情報を咀嚼していくうちに
一つの事実に辿り着いた
それは、
みんな愛を求めているということ
愛すること
愛されること
心がつながること
人間が求める究極の状態、それはつながった状態ではないだろうか
オレの心は気が付けばそんな悟りチックな世界に突入していた
愛、日常はそれを包み隠している
こうして愛を語ること自体、なぜかどことなく嘘くさい
それはなぜか
声を大にして愛を唱える人々というのは、どこかイッちゃってるイメージがあるということ
当然それだけではなくて、表現として使い古されているということもあるだろう
照れくさいものを隠したくなるのは自然な心の動きだろう
押し付けるように愛を語る人や集団がいれば、危険な信号をキャッチしてしまうのは自然なことだろう
しかし、そういった状態の渦中の人々が、自らの発するシグナルのヤバさに気付かないまま愛を唱え続けた結果、愛を語る行為は、どこか不気味とも言えるポジションに落ち着いてしまった
作品にもよるが、今やドラマの告白シーンなどは、時としてドン引きを引き起こす場合すら存在する
視聴者をドン引きさせていることに気付かないまま続いていくドラマを見るのはもはや苦行の一つだろう
ある種のドラマを作っている人間はみんな一緒なんじゃなかろうかというくらい延々と似たような苦行を押し付けてくる
バランス感覚のいい監督さんなのか脚本家さんなのか知らないが、ドン引きをコントロールしていたり、ドン引きのギリギリ手前で方向転換したりとしている作品にであうと嬉しくなる
そして、気が付けば、愛を語る危険だけが心に残り、人々は生活から愛を遠ざけていってしまう
しかし、そんな今だからこそ、愛は新しい切り口で語り合う絶好の機会であると言えるだろう
愛
悟りチックな何かが頭のなかでささやいている
愛とは、誰もがみな心のなかに持っているもの
形が変わることはあるが、なくなることはない
ずっと心のなかに存在するのだ
だから、時には表に出してやったほうがいい
ハジをかくことになっても、しまいこんだままの愛よりは健全だ
恥ずかしいことから逃げて胸に秘め続けると、鮮度を失い、気が付けば腐らせてしまうことがある
腐ってしまうとよけいに表には出せなくなる
その危険なループのゴールは見たくもない
新鮮な空気にさらしていると、その愛は少しずつ周りの人間に触れることになる
愛の新鮮なコミュニティーは、どんな関係であれ心に暖かいものをもたらしてくれる
鮮度を保つことを疎かにする者は、関係性の継続が上手くできないだろう
関係性において愛は、"素直さ"という言葉に置き換えられる場面が多くなる気がする
時には愛を自我とも呼べるだろう
愛とはつまり自分そのものなのかもしれない
それが答えなのかもしれないし、答えなど存在しないのかも知れない
すべてを否定して、すべてを受け入れる存在
解釈と付き合い方次第という意味では、自分の中の自分という事でもあるのだろうか
誰かに答えを教えて欲しくなるが
聞いてもいないのに答えを教えようとする人にはついていかないほうがいい
寄り添って共に探すのならば、それは時に家族であり恋人であり親友になりうる存在なのだろう
共に探す人に出会えないままでは迷子になるだけだ
人は、人と関わって生きることをやめるべきではない
そして、いつもの展開へ
勘の鋭い読者の中には既に予測済みという方もいるかもしれないが、そんな事を考えたまま書き連ねていくことで、またしても着地点を見失ってしまった
勢いのまま突っ走って、気が付いたら帰り道すら分からない子供と同じ状態である
しかし、それでいいのだ
あるがままをつづる
何となくでもつづる
適当でもつづる
それがオレのブログである
よいくらしバンザイ!
週末の回想
土曜日
買ったばかりのセミドライのウェットを着て
久しぶりに海に入った
初めてのセミドライ(5mm/3mm)だったのだが
その暖かさに驚いた
想像していたより動きやすいし
この時期に寒くない状態で海に入れるということに感動した
これで海に入れる期間が大幅に増える
買ってよかった
サイズはモモ~コシ、インサイドのワイドで速いブレイクだったけど
人もまばらで久しぶりのサーフィンを気ままに楽しむことができた
2時間程で体力が持たなくなり、お腹も空いたので帰って昼過ぎの朝ごはんを食べた
食後の眠気に逆らわずに眠れる事を幸せに思いながら
心地よい海の疲れに包まれながら寝た
目が覚めてもまだ日が高かったので
ちょっとツーリング
海沿いをバイクでスイーっと走りながら
気温の暖かさに春を感じた
日曜日
親友とバイクで山の中へ
あちこちで満開~満開を過ぎた桜に出会う
花びらでピンク色になっている道路まである
見晴らしのいいところで花見&お昼休憩をする
お湯を沸かしてカップラーメンを食べた
春の昼下がり、暖かくなってきた気温を感じながら
心を許した親友と近況や展望を語り合う
至福で贅沢な時間だった
新しく買った単焦点レンズで写真を撮ったり
山の中を走り回ったりしているうちに夕方になった
用事を終えたもう一人の親友が合流して
暗くなるまで公園で3人の時間を満喫した
そんなふうに、とてもいい感じで春を感じることができた
もっともっと遊んでいたいと思ったが
翌日の仕事に備えて解散した
楽しい事は世の中にたくさんあること
それを共に味わう仲間と時間が大切であること
そんな事をしみじみと考えていた
春ですな~