よいくらし

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怒らない生き方がベストなのだろうか?

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怒り

できれば怒りたくないと思う

 

しかし、運転中なり会話中なり

自分さえよければそれでいいを極めている人間の行動や言動に直面すると

どうしたって沸いてくるのが怒りだろう

 

また、不甲斐無い自分への怒りと向き合わねばならない局面もあったりする

 

この感情を無視して暮らす事はほぼ不可能だ

コントロールも容易ではない

 

怒れる自分を制御したくて、知識だけでも足しておこうと思い、数年前に

この本を買ってみたのだが、あまりにも期待した内容と方向性が違ったために途中で読むのをやめてしまった

最後まで読まなかったこともあり、ほとんど効果がなかったと感じている

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

 

 正直、この本の100件を超えるレビューを読んでいる方が面白かった

 「怒り」という強い感情をなんとかしたがっているのが伝わってくるレビューが多く、共感できるものに出会うと嬉しかった
 
自分だけがこの感情と戦っているわけではないという感覚が励ましのようなものに感じられて嬉しかったのである
 
嬉しさは、怒りを打ち消してくれる
 

怒らない事がベストなのか?

 
怒らない方がスマートに見えるだろう
では、怒らなければそれでいいのか
 
違うだろう
 
怒るべき時に、その「怒り」を直接相手にぶつけることで
開けてくる道だってあるのだ
 
とはいえ、見ず知らずのモラルハザードな人間をいきなり怒鳴りつけたりするのは非常に危険だし、いい結果に結びつくケースは稀だろうからやめた方がいいと思う
 
だが、もし実行してうまくいった場合、それによって自分だけでなく周りにいる多くの人の心を”スッキリ”させれたりする場合もあるのは事実である
 
伝えるべき感情を絶妙の言葉とタイミングで伝える事ができた時、運良く反省する事ができる相手の場合に限り、胸がスカッとするようなドラマになるのだろう

 

すこし話が脱線してしまったが、直接怒りをぶつける場合は、よく一緒にいる相手をおすすめする

失いたくない人間にこそ、怒りをできるだけ的確に伝える必要があるのだ

オレの場合だが、怒りを貯めて濁して曖昧に関係を続けた友人とは今は完全に疎遠だ

 

何といっても一番多くの時間を一緒にする人間と、それが怒りという感情であっても、感情を伝え合って過ごすことはいいことだと思っている

 

どんな事にどんな風に怒る人なのかを知ることは、相手を知る上で非常に大事なポイントである

 

オレは、怒らないように生きる事はやめた

その代わり、伝えるべき事をできるだけ正確に伝えられるように心がけている

 

友人に対してムカついた時、そっと関係を遠ざけるのではなく

どのようにムカついたのかをきちんと伝えるようにした

 

なるべく正確に伝えようとしていると、頭は怒りでたぎっているのに

妙に冷静に時間が流れる事がある

そういう時はいい結果が待っているものだ

 

怒ったときに、怒ったことを反省するのではなく

うまく怒れなかった時には反省し

上手に怒れた時は自分を褒める事にしてみたら、生きるのが楽になった

 

いい感情も悪い感情もきちんと伝えた友人との関係は親密さを増し、共にぶつかり合いという試練を何度も超えて、本音で語りあえる親友となった

 

親友とは、喜びをとも感じ、より多く味わう事ができるようになった

お互いが相手を怒らせない気遣いと距離感を覚えたので、無駄な衝突はほとんどなくなり、気持ちよく過ごせる時間が増えた

そして、お互いがかけがえのない親友と呼び合うまでになった

 

まとめ

怒りというのは、その人独自のものだったりする

自分の持っている感情の一つとして大切にすれば

怒りから得られるものもある

よりよい怒り方をこれからも探していこうと思うのであった